ごく普通のカニバリズム!カニバリズムの心理

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ナイトメア・シンジ

大学時代に現劇団の前身「スパースターノイローゼ」旗揚げ。 1989年劇団「営業二課」設立。 1997年松竹シナリオスクール卒業。 フェニックス掌編文学賞入賞。 2009年8月から2017年2月まで中央林間カルチャースタジオ演技講師に就任。 現在は映画脚本、舞台演出、脚本、ラジオドラマ制作、リーディング講師など精力的に活動中。 演技指導はマンツーマンを基本に行っている。 日本劇作家協会会員。 劇団営業二課主宰。 横須賀まなび館演技講師。

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ごく普通のカニバリズム!カニバリズムの心理

【なぜ・・・・・・】

今回はカニバリズムと心理について書いてみたいともいます。こう書くと、テーマは「なぜカニバリズムをするのか」という内容を期待される方もあろうかと思いますが、いや、それももちろん関心事ではあるのですが、逆に「なぜカニバリズムをしないのか」という視点から、まずは書いてみたいと思います。

【なぜ喰わないのか】

僕は茨城の生まれで、子供のころはよくイナゴを喰っていました。秋になれば田んぼへ行って、袋いっぱいにイナゴを捕まえてきては、それを祖母に渡して佃煮してくれとせがんだものです。味は、甘辛くて香ばしくて、とても美味しいです。栄養価も高いですし、おやつとしては文句ないと思います。ただ1点を除いては・・・・・・。

その問題の1点なのですが、それは何かというと、ひとえに「見た目」です。「イナゴの佃煮」をネットで検索してもらえれば、その画像はいくらも出てきますので、(覚悟の上で)検索してみてもらえれば分かると思います。

もう、そのまんまなんです。イナゴの姿がそのままです。おやつというよりは、「虫の死骸」です。それでも、当時は何の不思議もなく食べておりました。それが〝当たり前〟でしたから。ところが、ある時テレビ番組で、イナゴの佃煮を見た芸能人が仰天しているのを見て、こっちが仰天したものです。

言われてみれば見た目は確かにちょっと気持ち悪いかもしれないですが、味は美味いですから、そんなに嫌悪感を抱くものではない、というのが、当時の僕の認識でした。この違いが、カニバリズムと心理に迫るための、ひとつの糸口になるのではないかと思うんです。

既に書いたように、イナゴの佃煮は、味はなかなかのものです。ようは見た目がアレだから嫌われてしまいがちなだけでして・・・・・・。と、すれば、例えばすり潰してふりかけにしてしまえば、誰でも〝気軽に〟食べることができるようになるということです。

【九相詩絵巻】

ホラー映画やスラッシャー映画などで、グロテスクな描写のある作品は、嫌われる一方で一定の人気を集めますが、こうしたことは江戸時代にもあったそうです。流行りで言えば無惨絵とでもいうのでしょうか。人が切られたり腐っていたりするようなグロテスクな場面をたくさん描いた絵が流行ったことがあるそうです。

それがあまりにも流行したものだから幕府が禁止するまでに至ったほどです。で、そうした〝流行〟とは少し意味が違うものなのですが、「九相詩絵巻」と呼ばれる絵集が描かれました。「相」というのは「様子」というような意味です。なので「九相詩絵巻」とは、「九つの様子を描いた絵集」という意味です。

では、その様子とは、いったい〝何の〟様子なのかというと、それは「人が死んでから土になるまでの間の様子」です。

まず「生前の相」から始まり――、「肪脹の相」、「血塗の相」、「肪乱の相」――などなど、死骸が土になるまでの変化が、9段階に分けて描かれています。最後は「骨散の相」といって、この段階の絵は、髑髏がひとつ描かれているだけです。

この、九つある〝相〟の中でもっとも手に負えないのが、おそらく「肪乱の相」くらいからだと思います。腐って、変色し、蛆虫が湧き、鳥獣が喰らい、皮が破れて腸が散乱し、臭気は立ち込め――もう書いているだけでも気持ちが悪くなってくるくらいなんですが、人間の死体がこうなってしまうと、もう素人では手に負えません。精神的にも衛生的にも、これを処理するのは大変です。

でも、さらに時間が経って、最後の「骨散の相」になると、もう簡単です。なにしろ骨だけですから、もう臭いはないし腐るものもありません。綺麗とは言えないまでも、量を除けば手に負えないようなものではありません。このところにひとつ思うところがありました。

僕が何に対して嫌悪感を持っているのか、ということです。おおかたの人は、生きたいという欲求を持っています。なので、「死」を連想させるようなものは嫌う傾向があるように思えます。それを踏まえた上で、この「九相詩絵巻」をもう1度見てみます。

九つの〝相〟のうち、もっとも「生きている状態」に近いのは、言うまでもなく「生前の相」です。「生きている状態に近い」というより、もろに「生きている」状態です。それで「生きている状態」からもっとも遠いのは、「骨散の相」です。

遠い、という言葉はちょっと抽象的なので、もう少し具体的に言うと、元の身体の部分が最も少ない状態――と言い換えてみます。それで、さっきもちょっと触れたのですが、いちばん手に負えないのは真ん中のあたりくらいなんです。

臭いにしても見た目にしても、いちばんグロテスクで嫌悪感を抱くのは、まだ皮とか肉とか内蔵なんかが、腐りながらも残っている状態です。そう考えると、僕らが〝グロテスク〟〝気持ち悪い〟などと思う対象は、「死」を連想させるものではなくて「生の残り香」ではないかという気がします。

そうすると、これはかなり無理のある線だと自分でも感じるのですが次のようになるのではないかと思われます。

ごく普通のカニバリズム!カニバリズムの心理

【本当に忌避しているものとは】

僕が感じているのは、人間が本当に恐れているのは、「死」ではなく「苦痛」なのではないか、という気がします。昔の知り合いが、「あっという間に死んでしまうのならそれはいい。だけど痛いとか苦しいとか感じるのは嫌だ」と冗談交じりに話していたのを覚えています。

これを聞くまでは、そう感じているのは僕だけだと思ったのですが、聞いてからは、意外と多くの人がそう感じているのではないかと思うようになりました。どこかの掲示板でも、似たような書き込みを見たことがあります。

もし「死」よりも「苦痛」を嫌悪するというのが本当だとすれば、骨だけになった状態よりも、肉や皮などが残った状態は、「斬られる」「えぐられる」などの「苦痛」を連想されるものがあります。だから、この中途半端な状態がもっとも嫌」なのかな、などと考えてみました。

【ようは見た目】

かなり遠回りをしましたが、なぜ多くの人はカニバリズムを嫌がるのでしょうか。さきほどの「九相詩絵巻」の解釈に戻りますが、人間が本当に恐れているのが「死」ではなく「苦しみ」なのだとしたら、人体の原形を「中途半端」に残したものを食べるという行為(つまりカニバリズム)に嫌悪感を抱くのは自然なのではないかという気がします。

こじつけがましいでしょうか・・・・・・?­でも、「死より苦痛を恐れる」という原因が正しいかどうか、それにはかなり疑問が残りますが、「中途半端」な見た目が嫌悪感をもたらすというのは、ちょっとだけ信じてもいいように思います。

なぜなら、イナゴなら、佃煮をすり潰してふりかけにしてしまえば、おそらく嫌悪感を抱かれることはないでしょうし、人肉も、料理をして何の肉なのかがわからない状態なら、おそらく美味しく食べてしまうかもしれないからです。ようは「見た目」です。

はじめの問いかけである「どうしてカニバリズムをしないのか」という問いには、見た目、もしくは見た目から「苦痛が連想されるから」という答えが、いささか(いや、かなり)無理がありながらも導き出されることと思います。

【復讐と敬意】

ところで、今までに書いたこともあるかとは思いますが、カニバリズムをする心理としては、おもに2つの意味があります。ひとつは、相手に対する敬意、愛情、親しみなど。もうひとつは、相手に対する敵意、蔑み、など。

カニバリズムという点においては同じ行為なのですが、そこに働くこの2つの心理は、まったく反対のものですよね。

でも、この心理は、もっと正確に言うならば、「行為に働く心理」というよりは、「行為に対する解釈に働く心理」と言った方がいいかもしれません。具体的な例をあげて説明してみたいと思います。

ごく普通のカニバリズム!カニバリズムの心理

【敬意、愛情、親しみ】

何度か書いてきましたが、肯定的な心理が働いているカニバリズムには、ひとつに、「骨噛み」と呼ばれるものがあります。他にも、薬用として使われていた時期が、日本にも中国にもありました。

現代でも、胎盤を建康や美容のために口にすることがあると聞きます。前も書いたのかもしれないですが、形見などといった形で、故人の一部や故人にゆかりのある品物を保存しておくことにおいては、単なる儀式としてだけではなく、「そうしたい」という心理が自然に働くことと思います。

【敵意、蔑み】

文化的にも「敵」に対してカニバリズムを行うことがあるようです。小説の中の話ですが、人が敵に喰われる場面を見たことがあります。その場面のことをちょっと書きますと、まず、喰われたのは女性でした。喰っているのは、人間の形をしたバケモノです。

バケモノは、切断された女性の腕を片手に持って喰っているわけですが、その女性の夫が、それを見て激怒します。自分に当てはめてみたとして、もし自分の恋人がそんなふうに喰われていたら、僕でも怒りを感じることと思います。ただ、ここでちょっと厳密にこのことを考えてみたいと思います。

【バケモノの意図】

僕の読んだ小説のバケモノの話なんですが、本当に「敵意」から腕を喰っていたんでしょうか。バケモノの心理については書かれていないので分からないですが、必ずしもそうとは言いきれないように思います。

カニバリズムとは話が離れますが、人が亡くなって火葬が終わったあとに、「お骨上げ」というのをやりますよね。箸で骨を拾って骨壷へ収める儀式です。

地方や宗派などによって、その作法に違いはあるかもしれないですが、場合によっては、箸で掴んだ骨をそのまま壷へ入れるのではなくて、掴んだ骨を別の人へ、箸から箸へ渡し合って、最終的に壷へ入れる、という手順で済ませることもあるといいます。

食事の時に箸と箸をくっ付け合うと縁起が悪いと叱られたことがありますが、その行為がなぜ縁起が悪いとされるかといえば、それが「お骨上げ」の時の行為と似ているからなんだそうです。

それはともかく――。「お骨上げ」という儀式は、一説によれば、箸(橋)から箸(橋)へ渡すという意味で、つまり、みんなであの世へ送ってあげるという思いやりのこもった行為なんだそうです。でも、そういう事情を知らずに、「お骨上げ」の光景を見たらどう感じるでしょうか。

また、もし「お骨上げ」ではなく、例えばなんですが「ドキドキ骨渡しリレー」なんていう名前を付けてやっていたら、その骨の遺族は、きっと怒るどころの話では済まないと思います。でも、やっている内容は「お骨上げ」と何にも変わらないわけです。

カニバリズムにこの考えを当てはめてみることもできると思います。さっき書いたバケモノの話ですが、千切られた腕を持ってそれを齧っている様子は、一見蔑んでいるかのように見えますが、なんらかの理由があると想像することもできます。

ちなみに、僕はその小説を通して読みましたが、あれは蔑んでいるようにしか思えなかったです。逆に、カニバリズムを行っている時に働いている心理が、もし相手に対する肯定的なものだったとしても、急いでいれば雑になるし、慣れていなければ汚い喰い方になり、見る側からすれば、それは冒涜しているとしか見えないかもしれません。

カニバリズムというとグロテスクで気持ち悪くて、その心理は異常で理解できないもののように思いがちですが、決してそんなことはないと思います。

内容を知らずに行為だけ見るなら、先にあげたお骨上げだって、充分に異常です。大勢人間が死人の骨を取り囲んで、箸でつまんではリレーのように渡し合って壷に収める――こう書くと、いかにも気味の悪い儀式のように思えないでしょうか。

カニバリズムも同じです。よってたかって死人の肉を喰う様子は、まるで異常のように見えます。つまり、カニバリズムという行為そのものを見てその心理が理解できない場合は、その理由を知れば理解でき、必ずしも異常とは決めつけにくくなるということです。

反対に、お骨上げのように馴染み深い儀式も、まったく知らない人間から見たら異常そのものになりえます。

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【動物界に見るカニバリズム】

人間のカニバリズムでは、飢餓状態などにおける緊急事態としてやむなく行われるものは、カニバリズムを考察する上では対象にならないそうです。「やむを得なかったから」で片付けることが出来るからでしょうか。しかし人間以外の動物の場合は、飢餓状態における共喰いもカニバリズムとみなすそうです。理由はよく知りませんが・・・・・・。

それでも動物の場合でも、飢餓状態でもないのにカニバリズムを行うことがあるそうです。一部の動物は、ストレスを解消するために同種の動物を殺し、喰うことがあるそうです。飢餓を解消するためではなく、これは殺すこと自体が目的なのだそうです。

人間でいえば、「むしゃくしゃしてやった。相手は誰でも良かった」といった感じでしょうか。動物の世界でも、そして人間の世界でも、同種同士での喰い合いはかなり見られます。

人間は、飢餓状態における場合も、儀式的な場合も、個人的な嗜好の場合も、カニバリズムが行われていた歴史は多く見られえます。動物の世界においてもそうです。

人間が、まだ猿と同じ祖先に近い状態だった時は、動物と呼ばれるものだったかもしれません。その時代まで歴史を遡るとするなら、もしかしたら、カニバリズムが忌避されるようになったのはごく最近で、カニバリズムが行われてきた期間の方が長いのかもしれません。

なので、「なぜカニバリズムを行うのか」という心理について追求するよりも、「なぜ人間はカニバリズムを忌避するようになったのか」という問いかけの方が興味深いものなのかもしれません。

つまり、「異常」なのは、カニバリズムをする方ではなく、カニバリズムをしない方と言えるのではないでしょうか。そして「なぜカニバリズムを忌避するのか」 という問いの答えが、回り道ながらも「なぜカニバリズムを行うのか」という問いの答えに繋がるのかもしれません。

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